68年5月1日:メーデーのデモ

<68年5月>のフランスでは、労働運動と学生運動が期せずして同時に高揚した。1953年7月14日の革命記念日の労働総同盟(CGT)主催のデモが、警察隊のアルジェリア人隊列への発砲と7名の死者を生む弾圧を招いて以来、フランスではメーデーのデモは禁止されていた。CGTとフランス共産党(PCF)が呼びかけ、統一社会党(PSU)が賛同した68年のメーデーのデモは、14年ぶりに復活した行事だったのだ。西川長夫・祐子夫妻が、このデモに参加したのには、そんな背景もあったはずである。主催発表10万人、警察発表2万5千人の参加者たちは、共和国レピュブリック広場からバスティーユ広場に向けて、ボーマルシェ通り沿いに進んだ。隊列は地区や業種毎に分かれ、いずれも賃上げや労働時間短縮、社会保障改悪反対などの要求を記したプラカードや横断幕を掲げているが、ヴェトナム戦争反戦・南ヴェトナム解放の訴えも目立つ(ヴェトナム社会主義共和国とアメリカ合衆国の和平に向けた最初の予備交渉が行われたのも、この5月のパリだった)。隊列には、CGT構成員やヴェトナム人参加者のみならず、フランコ政権民主労働同盟(CFDT)や「労働者の力」(FO)など非共産党系の第二・第三組合は不参加。学生運動活動家を主力とする極左小集団グルピュスキュールとCGT-PC系の護衛部隊の衝突もあった。バスティーユ広場でのデモ参加者たちの議論には、複数の潮流のつば迫り合いもうかがわれる。

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