68年5月10日〜14日:ノルマンディー旅行

西川さん夫妻は5月10日、パリを出て、ルーアン西部ラ・ヴォバリエールの友人を訪ねた。パリの事態がその外でどんな風に受けとられているかを知るのが一つの目的だったらしい。だが、カルチエ・ラタンでは10日夜から翌11日にかけて、最初の「バリケードの夜」が勃発。11日には学生組合のUNEF、教職員組合のFEN(「国民教育職員連盟」:初等・中等教職員組合)、SNESup、それに共産党系のCGT、非共産党系のCFDTという労働組合の合流である。週明け、ゼネストが始まった13日にはルーアンからパリに帰る列車はなく、そのままオンフルール、カーンを周遊(~14日)。こうして13日、政府の譲歩によってソルボンヌで学生たちの占拠・自主管理が始まるときに西川さんは立ち会いそびれたが、この間立ち寄ったオンフルールではカフェでストに入った労働者たちが祝杯を挙げるのを見かけ、カーン大学では学生集会に出会している。カーン大学では、すでに68年1月の文学部新校舎開設の際、他大学を訪れた国民教育相に会見を拒否された学生たちが警察と衝突を起こしていた(同月には、工場労働者によるストライキ・工場占拠や、組合のデモ隊による市内の打ち壊しも起こっている)。5月には、第二期課程(修士課程相当)新設とナンテールの学生処分の撤回を求める社会学部の学生たちが、6日以来、当時の学部長クロード・ルフォールらの支持も得てストに入り、それが文学部・理学部にも波及する。写真の翌日15日には、教員・学生が構成する「暫定総会」が社会学部・文学部の自主管理に入っている。

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